宇宙の“箱”を開ける 第8回

今日はいよいよ昨年の僕の研究の一部分をご紹介したいと思います。(昨年は色々やりましたが、割と気に入っている仕事でもあります。)

テーマは

「結局、IDGってなんだ?」

です。

挿絵は、「夜学/Naked Singularities vol.1」でお話しした時のスライドです。

それでは行ってみましょう!

さて、まず質問です。

あなたは高層ビルの1階にいます。このビルの最上階にいる人に手紙を手渡しで届けなければなりません。しかし、運悪くエレベーターは点検中です。階段だけしか使えません、どうすれば楽に最上階に手紙を届けられると思いますか?

答えは簡単ですね。一人で大変ならば、途中の階に住んでいる人に協力してもらって、複数人で分担して手紙をリレーしていけばいいわけです。

じゃあ、例えばそのビルが無限階の高層ビルだったらどうでしょう?この時は一人では到底たどり着けません。でも、この場合でも各階に住んでいる住民に協力してもらえば最上階にたどり着けるはずです。

このように、一人では無理なことでも、複数人で分担すれば楽に目標を達成できますよね。それがたとえ無限大の仕事でも、無限の人数の人が協力すれば達成できますね!「何を当たり前のことを」と思ったかもしれませんが、実はこれこそがIDGにおける発散の解消のメカニズムなのです!もう少し詳しくみていきましょう。

実際、IDGでも似たようなことが起きているということをみていきましょう。

ここで、前回ちょっとだけご紹介したニュートン力学(一般相対性理論の弱場近似)とIDGの弱場近似の方程式です。こうやって改めて見ると、共通する部分がいくつもあることがわかります。特に、右辺に関しては全く同じですね。この右辺は何を意味しているのでしょうか。

右辺の黄色い枠で囲った式はデルタ関数と呼ばれる特殊な関数です。これは積分した時1になるという性質を持つ関数なのですが、ナイーブにはある1点に集中して存在する物質、質点が存在しているということを表しています。(厳密に言えばデルタ関数は積分とセットで定義される関数なので、デルタ関数が原点で無限大に発散しているというのは正確ではありません。あくまでそう考えておくと辻褄が合うのでここではこのように説明しています。)

この二つの方程式を解くと、右辺の書かれているように原点に質点が存在しているとすると、その周りにはどんな重力場ができるのかが分かるわけです。

さて、ではこの2つの方程式をじっくり眺めてみましょう。右辺は原点で無限大の値をとっています。そのため、等号で結ばれる左辺も原点で発散していなければならないはずです。

ニュートン力学の方ではどうかというと、左辺にポテンシャルが一つしかないため右辺が原点で発散するということと辻褄を合わせるためには、左辺の重力ポテンシャル(の2階微分)も無限大に発散していなければならない事になります。これはちょうど、無限階の高層ビルを一人で登る事に対応しています。無限階のビルを一人で登るためには、無限大のエネルギーを使って無限大の時間をかけて、無限大の…とにかく大変です。

一方で、IDGの場合はどうでしょうか一見すると

という項が加わっただけで相変わらず一人しか登場しないように見えます。しかし、前回ちょっとお話ししましたが、この指数関数は次のように、展開できて、無限この項をうまく足し合わせる事で表現できるということが知られています。(このように関数をべき関数の和で展開することをテイラー展開と呼びます。)

さて、このように展開できるということは、IDGの方程式の左辺には無限個の項が存在するという事になります。これは、先程の無限の人数の人で分担して階段を登る事に相当します。無限個の足し合わせになっているので、一つ一つの項の値を有限に保ちながら原点で発散する右辺の振る舞いと等しくすることができるのです!(マイナスが途中で入っているけど、これは大丈夫なの?と思われるかもしれませんが、この方程式の解を代入して見るとうまい具合にマイナスが出てきて全ての項がプラスになることがわかっています。)

これが、IDGで特異点がなくなる理由です。無限階の微分を導入するために使った指数関数によって方程式に無限個の項が登場します。そのため、たとえ物質場が発散したとしても一つ一つの項は無限大の値をとる必要はない、つまり原点で重力ポテンシャルは発散しなくても良い、という事になるのです!

以上が私たちの行った、IDGでなぜ特異点が解消されるのか、という事に対する解釈です。どうでしょう、なるほど〜となっていただけたでしょうか。

このIDGはまだまだ発展途中です。特にブラックホールについては弱場近似の解しか得られていないので、現在観測で見つかっているようなブラックホールの中心付近がどうなっているのかという事については、まだわかっていません。しかしIDGは、量子重力的な効果を取り入れると、特異点は存在しないようだ、という重要なヒントを与えてくれています。

現在、僕はこのIDGの弱場近似を使わずに解くことを目指した研究を進めています。IDGを強重力場でも解けたならば、ブラックホールの中身を垣間見ることもできるかもしれません。絶対に中を観測することができない、ブラックホール。しかし、数式の力を借りることで、ブラックホールの中がどうなっているのかを“予言”することができます。これってすごいことだと思いませんか?絶対に見ることができない、頭の中で想像するしかないことを、他の人と共有できる形で言葉にすることができるのですから。

もちろん、“予言”をだけをして楽しんでいるだけだと、科学にはなりません。“予言”は、実験をして、検証して初めて科学たり得るのですから。ですから、ブラックホールの中という未知の世界に想いを馳せると同時に、こんな現象を観測すればこうなるはずだよ、という地に足をつけた“予言”もしなければならないのです。

大きな野望を持ち、夢を語ると同時に、足元を確認しながら現実と向き合う。理想と現実の狭間を行ったり来たりできるのが理論物理の面白いところだと思っています。

最後に、ちょっとだけお付き合いください。

高校物理を初めて勉強した時、物理は僕にとって無味乾燥なつまらないものでした。僕にとっては点を取るために頑張る受験科目以上でも以下でもありませんでした。

大学物理と出会って、その思いが変わり始めました。今まで勉強した時になんとなく引っかかっていたことがするすると説明されていき、無味乾燥だった景色に鮮やかな色がついていくかのようでした。

そして、研究室に配属された時、今までそれぞれ学んでいた物理の分野が一つにまとめられていきました。なんだ、結局物理のやりたいことってこれなんだ、ということがおぼろげながら輪郭を帯びてきています。

物理はハードルが高い学問であるというイメージがあると思います。高校で出会って、そのまま嫌いになってしまった人も多いことでしょう。でも、「物(もの)」の「理(ことわり)」を探究する「物理」という学問は私たち人間が生きていく上でふとした時に顔を出してきます。物理に「立ち向かおう」とするのではなく、「気長に付き合ってやるか」というぐらいの感覚で物理を楽しんでもらえたらな、と思います。

高校物理の先には、こんな面白い世界も広がっているんです!

どうですか?ワクワクしてきたでしょう?

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Keisuke Ota / 太田渓介 Website

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